子供を絶対死なせない

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生きていく、というのは死なないことです。サステイナビリティです。絶対に、何があっても死んではいけません。どれだけピンチに陥っても、死なないための方法を探す生きることを諦めてはいけません。病気にかからない心構え、事故を予見する注意力と危機感、生き伸びる確率を少しでも高める方法を考える、などです。

これに関しては難しく考える必要はありません。子どもたちに、ことあるごとに、しっかり言葉で伝えてあげることで理解してくれますし、それがいろいろなことを考える上で、基礎になります。とにかく「死んではいけない」ということを、具体的な言葉にして洗脳するが如く、日常的に刷り込んでください

命を大事に思う気持ちは、理屈ではありません。人が死ぬことは、その周りの人だけでなく、人類全体の損失です。殺人は最悪の手段ですし、自殺も同罪です。「なぜ死ぬことはダメなのか」「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに、スパッと答えることは難しいと思われがちですが、いろいろなアプローチから、論理的に説明することが可能です。

役割

死ぬことはその人が担っていた役割を放棄することです。死んでしまうと家族のメンバーとして、社会での役割誰かの拠り所となっていること、そして自分の世界を生きる、という役割を果たせなくなってしまいます。一人の人がいなくなると、本人は実はあまり関係ないことが多いです。死んでしまった本人は何も感じないからです。ただ、残された人たちのダメージはとてつもなく大きいことがほとんどで、それが親子関係にあればなおさらです。親の役割は子供を育てることですが、同様に子供の役割は親と共に成長することです。子供は日々の生活を通して、自分の子供を育てる喜びや苦悩を、かけがえのない体験として親に提供するという、めちゃくちゃデカい仕事をしています。なので「絶対に死んではいけない」と、子供に言うのは親のわがままではありますが、同時にこの世で何が一番大事なものか、ということを最も端的に表す言葉です。

権利

まず前提として、権利を剥奪する権利はありません。そして人の命には様々な権利が結びついています。本人の生きる権利、その周りの人が悲しまない権利、それから人を死なせてしまった人の生きる権利です。人がひとり亡くなるときには、それらの権利が同時に消失し、言い換えれば何人か同時に死んでしまうことに近い、ということです。死んでしまった本人にとっては、やりたかったことが今後一切できなくなる、という究極の終わりです。再チャレンジはありません。家族や友人を亡くしたら周りの人たちは、しばらく生きていくことさえ辛く感じるほど落ち込むこともあります。また、仮に人を死なせてしまった場合、加害者側の人生も大きく変化します。刑務所での服役、損害賠償、消えない罪悪感、世間の目など、それこそ生きていくことがしんどくなるような、自由の制限された人生を送ることになります。

こういったことから、人間は通常、死を遠ざけるようプログラムされています。また、経験的にその死の罪悪について、徐々に意識するようになります。ただ、子供の場合、経験が不足しているために、死のインパクトについて正確に理解できていないケースがほとんどです。ですので、ことあるごとに「死なないこと」の大切さをていねいに刷り込んで行く必要があります。また親も、そのとおりに生きていく姿を見せるべきです。

逆に、死ななければ何をやってもいい、と言ってあげるのも手かもしれません。死ぬことだけは絶対やめてね、と言うぐらいでは選択肢を狭めることにはなりませんから。

BB1100

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